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白老駅から北西約2.5キロ、白老川とその支流ウトカンベツ川に挟まれ、丘陵を背にして史跡白老仙台藩陣屋跡があります。
しかし、北辺の緊張は依然として続き、ロシアの南下政策を警戒した幕府では、松前藩のほか東北諸藩(津軽・南部・秋田・仙台・庄内・会津)に命じて蝦夷地を分割警備させ、各藩では24ヵ所の陣屋を築き沿岸の防備にあたりました。 このうち仙台藩では、白老から襟裳岬を経て国後、択捉島までの東蝦夷地を守備範囲として、元陣屋を勇払(苫小牧市)に置くよう指示されましたが、出入司
三好監物(みよしけんもつ)を蝦夷地に派遣し、現地踏査した結果、白老を適地として幕府に変更承認を求め、同3年(1856)春に陣屋構築にとりかかり、同年秋には一応の完成をみました。 同藩では白老に元陣屋、広尾・厚岸・根室・国後島泊・択捉島振別にそれぞれ出張陣屋を置いて多くの藩士たちがその任につきました。
さらに、同6年(1859)には藩領地ともなったことから代官も置かれ、白老の民政にも尽しました。 一方、少し離れた東西の丘には愛宕神社と塩竃神社を祀りました。 しかし藩士たちが陣屋で警備をしている間に、世の中は大きく変わり、幕府が倒れて政治の中心は朝廷に移りました。 さらに、慶応4年(1868)に勃発した戊辰戦争(ぼしんせんそう)により、白老元陣屋はじめ各地に置かれた陣屋は、12年間の歴史に幕を閉じました。
また同56年には、この史跡がとりもつ縁で、仙台市と白老町は歴史姉妹都市となり、さらに陣屋の持つ歴史的意義を広く世に紹介するため、同59年10月、仙台藩白老元陣屋資料館が開館しました。 |
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