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栃木県矢板市生まれ。昭和15年父親の転勤に伴い美唄市に移り住んだ。
尋常小学校卒業後に予科練へ志願入隊し、長崎県諫早市に展開していた航空部隊に配属中、終戦を迎える。昭和20年5月から6月にかけ、偵察任務を受けてすでにアメリカ軍が上陸していた沖縄上空を飛んだ。また沖縄戦の推移を無線室においてリアルタイムで耳にした経験も持つ。終戦後、父親の在籍する三井炭鉱美唄鉱業所に入社し、31歳までの17年間を電気工として勤め、昭和36年同鉱を辞し白老へ移住した。
白老では40年から木彫の先駆者である、小畑雪峰の影響を受け、見様見真似で腕を磨き木彫業に専念した。当初は、作品のほとんどを白老刊行物産(株)へ納めていたが、後年は問屋を介さず、白老・札幌・洞爺・登別など各地の店舗に直接作品を卸した。また、自治体として工芸産業の振興に力を注ぐ陶磁器の町益子(栃木県芳賀郡益子町)や高山
(岐阜県高山市)、井波(富山県井波町)などの地域へ積極的に足を運び、白老町における木彫の復興と伝承方法を模索してきた。
なお。平成15年には町の委託により、同年9月の台風14号により倒れた史跡
白老仙台藩陣屋跡の赤松を利用し、力作『コタンコロクル』を彫り上げ、白老町へ寄贈している。
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