ゆのみ 【第22回〜第25回】

 

 

 

「待望のフレッシュマン」(2007年4月7日掲載)

 

わが陣屋資料館に待望の新人学芸員が入った。福島県出身で、今春、苫小牧駒澤大学国際文化学部を卒業したS君である。昨年夏、当館で二週間の博物館実習を行い、活動の一端に触れ、また、帰省する次いでに仙台市博物館へ資料返却にも同行してもらった。以来、事あるごとに資料館へ顔を出し、さらには、アイヌ民族博物館と同大学との連携講座にも積極的に関与していたが、残念ながら思うような就職先が見つからず、縁あって臨時での採用となった。よく気がつく六年目のI姉さんも加え、三人の平均年齢は三十歳である。

「いい仕事をするためには、英気を養うことのできる、落ち着いた家が必要」と、先月下旬から部屋探しをしていたが、スタートから多くの人たちの温かさに触れ、二間のアパートでの新生活も始まった。

ちょうど二十年前、私も、古来東蝦夷地第一の泊と謳われた歴史のまち 厚岸町が初めて採用する学芸員として、意気揚々と勤め始めた。幸いなことに職員寮が完備しており、生活自体は万全だったが、それでも学生時代とは全く違って、身の置き場がしばらくはなかったように思うし、様々とある慣れない仕事に、当然のように戸惑った。今は退職してしまった当時の上司も、きっと期待と不安と心配とを交差させながら、毎日見つめてくれていたものと思う。待望の直属の新人には、この仕事をしてもらおう、あれを一緒にやろう。しかし、年の差もあるし、最初から無理もさせられないだろうし、どうしよう。

S君は、私と同様?前向きで真面目な性格、そして若いだけあってテキパキとよく動く。私もそれに乗じて、さっそく様々な会合や現場に連れ回している。多少息切れしようとも、人との交流こそが一番の仕事。早く独り立ちできるよう、付いて来てもらおう。ただし、仕事の段取りは分かりやすく説明しよう。もう“我流”は許されない。

毎年、必ず花を咲かせる陣屋のサクラやアヤメ、咲き誇る花々のように、愛でられる花や実をつけられるよう、素直に一生懸命ついて来て欲しい。応援している。

 

「カキ漁師 Nさんのこと」(2007年4月21日掲載)

 

Nさんは、“牡蠣と桜と歴史のマチ”道東の厚岸町に住むカキ漁師である。厚岸に就職して以来の付き合いになるので、かれこれ二十年来の仲である。

最初の出会いは、地元の博物館で共に様々な活動を行う「あっけしふるさと友の会」を創設した際、フリーで入会してきてくれたこと。それまで漁師という職種の人には知り合いがなく、「本当に大丈夫か、続くのか?」と半信半疑でのスタートであったが、忙しい仕事の合間を縫っては、事業に顔を出してくれていた。「真冬の氷下待ち網漁とラムサール」と題した見学会を企画した際には、凍てつく厚岸湖上を彼の運転するスノーモービルで疾走、オオワシやオジロワシに囲まれながら、網上げの体験などもさせてもらった。プライベートでも気心の知れた酒飲み友だちであった。

白老に越してきた際には、「これまでか」と思ったが、毎年春と秋に、わざわざガソリン代と暇をかけ、カキを届けてくれた。数年前からは町内の居酒屋さんと連携して、牛肉まつりでカキ等の海産物を格安で販売、そして白老の人たちが厚岸の桜まつりで出店するなど、年々、町民との輪も広がり、すっかり溶け込んで、Nさんの行き来は年四回以上、今や恒例行事となっている。

十数年前からは地元カキの将来を真剣に考え、仲間とともに苦労しながらも、厚岸生まれで厚岸育ちのカキ(シングルシード)を研究開発、「カキエモン」としてブランド化し、東京や大阪・名古屋など首都圏にまで販路を拡大した。

それにしても、Nさんは十歳で不幸にも父親を亡くし、長男として母親を助け三人の弟たちを立派に育て上げ、それぞれに家庭をもたせ、そして自分は最後に結婚。それだけでも大したものなのに、若くして経営者となり、地道ではあるが、立派にカキの生産を軌道に乗せているのだ。同世代として、とてもできることではないし、本当に頭が下がる。

今年も、陣屋のサクラの下で、白老牛とともにNさん自慢のカキを豪快に焼く贅沢な季節がやってくる。Nさんと会う度に、その頑張りに負けないよう、強く生きて、いい仕事をしたいと思うのである。

 

「こどもの日に」(2007年5月5日掲載)

 

今日五日は端午の節句。男の子のいらっしゃるご家庭では、愛息子と彼の健やかな成長を願って求めた五月人形とを囲んで、ご馳走をいただいているころでしょうか。わが家でも、数年前までこの心温まる家族行事を営んでいましたが、三人の子どもたちも、そして親もそれぞれに感心を示さなくなり、一人ずつ菖蒲湯に浸かるだけの寂しいお節句です。

威風堂々わが家の床の間を飾っていた五月人形〜四十数年前に両親が私に与えた「八幡太郎」、十数年前に孫へ購入した「立武者」、そして当時九十三歳の祖母が曾孫へと贈り、白老での一番乗りを目指して三月末には寒空を泳いだ「鯉のぼり」も、今は元陣屋資料館へと納められ、第二の人生を展示物として、多くの方々に愛でていただいています。

資料館では、先月二十日から町民の方々に「源氏兜」や「桃太郎」「金太郎」など大小様々な四十数点の多彩な人形等をお借りして、「武者人形展」と題する展示会を、彩り豊かに、また華やかに開催しています。それぞれに思い入れがあるであろう、これら物言わぬ人形の中にすっぽりと身を沈めてみると、なにかしら底知れぬ深い郷愁を感じずにはいられませんし、とても優しい気持ちにさせられます。

明日最終日には「こどもの日企画」として、子どもの頃よく折った新聞紙での兜づくりや、澱粉やメリケン粉を使っての昔懐かしいシンプルな手焼き煎餅づくり、本物の鎧兜の着用体験などを地域の方々の手をお借りして行います。例年より春の訪れが早かったとはいうものの、残念ながら今年も陣屋跡での歓桜には間に合いませんでしたが、恒例となりつつあるこの事業を通じて、一年に一度だけでも、幼かったころの思い出にしっとり浸りたいものと、毎年楽しみにしているのです。

 

「いつまでも父母の想い」(2007年5月19日掲載)

 

「真は玲子の幸せのために、玲子は真の幸せのために・・・」。昭和六十三年七月三日の結婚祝賀会で、双方の親が私たち新米夫婦に贈った言葉である。あれからもう十九年、先輩や後輩、同僚に励まされ、三人の子宝にも恵まれて、気忙しいながらも充実した日々を送っている。一方、兄弟たちもそれぞれ良き伴侶と巡り合い、弟は二人の男児を得て東京に家を持ち、妹は千葉に居を構え先日三人目を出産、義理の母や姉妹たちもまた、厚岸で元気に暮している。

私の父義規と母守恵は、昭和三十七年二月に釧路で結婚、同居していた伯母ム子もよく家事を助け、私をはじめ三人の子どもたちを肉体的にも精神的にも頑丈に育て上げた。現役時代に三年ほど東京で過した経験から“何かと刺激の多い札幌”へ十年ほど前に移り住み、八人になった孫たちの成長を愛でつつ、時には親以上の熱心さで精力的に面倒を見、若々しく人生を楽しんでいる。

子育て真っ最中の私たち夫婦も十分にその重さを感じているように、子どもを育てると一口に言っても、夫婦ほぼ同じ価値観で、一個の運命共同体となり、覚悟をもって生活していかねば困難なことだ。その点、ボーッとしている長男の私だけが気づいていなかったとも言えるが、両親はそんなことを微塵にも感じさせず、子どもたちを育て切った。

人生八十年としても、すでに折り返し点を回り、このまま家族ともども快活に過ごせれば、これからも楽しいことの方がきっと多いのだろうが、今、子どもの親として強く思うことは、両親のように、いつでも快く子どもたちに協力できる親になろうと。愛情に満ちた親になりたいと。

本稿執筆の結びにあたり、「仲良きことは美しきこと哉」の辞を。そして、愛妻にも一言、「これからもよろしくね」。

 

 

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